人間ドックの前に湊線をちょっとだけ、鉾田での取材対応と、水戸駅南で中学同期との呑み会。(11/21)
2008-11-21


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今日は年休を取って『人間ドック』。今まで毎年毎年憂鬱な行事だったのだが、今年は違う。なんたって鉾田での草刈を始めとする肉体労働が効いており、体重は昨年比で確実に5kg以上減っている。それは、着衣にも如実に効果が出ており、新しいスーツのスラックスはのきなみベルトで締め上げないとずり落ちてしまうようになっているのだ。穿けなかった古いスラックスも穿けるようになっている。しかも酒もかなり控えているし、これで去年より悪い数値が出るとは思えない。『どんとこ〜い』なんて気分で人間ドックに行くのは初めてのような気がする(笑)。

 ドックの受付は0755〜0810。人間ドックなので朝飯は当然食べられない。とりあえずその分早めに出て、日工前辺りで勝田0755着の湊線の旧型車の2連運用のチェックをしてからドックに行く事にする。これは人間ドックの日程でのいつものパターン。
 かといってドックの間車に機材を置きっぱなしにするのも無用心なので、今日のカメラはいつも持ち歩いているコンデジのFinePixS8000fd。まぁ撮れてればいいやといういいかげんなノリ。
 日工前の脇の一方通行の道路のガードレールに寄せて車を止めると、すぐに踏切が鳴り出した。やってきたのは勝田方からキハ223とキハ2005の旧新茨城交通色コンビ。旧型車で『茨城交通色だけ』という組み合わせも、塗装変更車の方が多くなってしまった今となってはこのパターンしか有り得ないという事になっているのでそれはそれで貴重と言えば貴重と言えるのかも知れない。
 日工前ではそれなりに下車客がある。もともと日工前という駅は朝夕1本づつしか列車が停車しない駅だった。日立工機への通勤者への利便を図るための処置で、下車できるのは朝の勝田行きでは一番後ろの車両だけという形だった。時刻表にも掲載されておらず、定期券や乗車券自体も『日工前』という行き先は存在せず、阿字ヶ浦方から利用する場合にはその先の勝田までを買うというシステムだった。朝の4連運用の有った当時はホームの長さが足りないため、先頭の車両はホームの無い所に停車していた。当時の国土地理院の地形図では『ひたちこうきまえ』と記載され現駅名の『日工前』と異なっていたところも面白い。ある意味『まぼろしの駅』だったわけである。
 列車がまとまった本数停車するようになったのは10年前の平成10年12月8日の改正から、日工前独自の運賃が設定されたのもこのときが初めて。来月8日は日工前開業10周年ということになる。この日を境に日工前でのホームの有効長の制約と乗客減から、朝のラッシュ運用は4連から3連に短縮された。それも今は2連となってしまっている。

 とりあえず、線路脇の道路標識が無茶苦茶目障りな画を何枚か押さえる。まぁ行きがけの駄賃なんでこんなもん。

 親会社が直営している総合病院の中にある、人間ドック専用の施設で検診を受ける。100人弱の人間がそれぞれ番号を付けられ、カードを持たされて、番号がふられた各種検査室の間をアナウンスに告げられるまま午前中ずっと右往左往していると検診が終わる。このシステムで年間ざっと2万人くらいを検診するわけだ。
 しかし、どうしても胃部X線だけは苦痛だ。なんで言われるままにあんな硬い台の上でぐるぐる回らせられたり、頭を下にされて手すりに必死にしがみついたりしなけりゃならないんだ。アミューズメントパークのジェットコースターか何かみたいに体をしっかり固定してくれて勝手にぐるぐる回される方がなんぼか楽じゃねぇかと思うんだが(それだったら体勢の微調整とかでも「ちょっと左」、「もう少し」とかやらなくても技師さんもジョイスティック動かすだけで済んで楽だろうと思うのだが)。

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